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道端の葉

道端の葉
Canon EOS 5Ds + Canon EF 100mm F2.8 Macro usm

ここのところ、ミラーレス一眼がどんどん普及していて、キヤノンもプロ向けのR5やR6などを相次いでリリースし、たぶん数年後はミラーレスカメラが主流になるのでしょうね、間違いなく。

僕もいずれはミラーレスカメラにほぼ移行するのかもしれないけれど、完全には移行しないことを確信している。

というのは、EVF(エレクトリックビューファインダー・電気的覗き窓)である。これがどうも相性が悪い。過去にミラーレス機は幾度か所有し使ってきて、現在も EOS Rを動画用に使っているけれど、どうも EOS R で「写真を撮る」という感じになれないのだ。

その理由は自分でもわかっていてファインダーの像が自然光ではないから。

EVFのほうが露出も反映されていて、僕のように目の弱ってきた中高齢者にはかえって見やすいし、拡大も自由自在だし、むしろ中高齢者向けのツールだろうというご意見はごもっとも。

でもダメなものは駄目なのである。

光学ファインダーは文字通り、電気ではなく、レンズから採光した実際の光を鏡(レフ)とプリズムで肉眼に届けるいわゆるアナログな仕組みである。これが僕の体にとって自然なのであり、それは当前、自然光をリアルタイムで確認できるからである。

対してEVFというのは、センサーが受光したデジタル情報をモニターに映してる「偽の光(にせのひかり)」であり、常に情報が処理されているため表示にタイムラグも生じている。

人間の体というのは思っている以上に繊細・高精度にできていて、どんなにEVFの見えが自然になっても、タイムラグが0.0005秒に短縮されたとしても、どこまでいっても「偽の光」であることには変わりなく、そして目にとっては違和感しか生まないのである。

簡単に言えば、写真撮影という生きた全体的な連続行為が、EVFによってばっさり「遮断される」のである。

写真撮影は、連続で録画し続ける動画撮影と大きく違っていて、瞬間の行為である。被写体を見ながら、一番しっくりくる構図や露出、タイミングでシャッターを切るという刹那の行為の連続である。動画は一定の条件を決めてある一定時間をカメラまかせで録画し続けるのに対し、写真はワンショットワンショットがオリジナルであり、多様の集合である。

光学ファインダーは、この写真撮影の連続行為を支える「現実光の大動脈」であり、これがあるからこそ身体も自然に反応し、全体的な流れのなかで自然な撮影ができるといっても過言でない。

EVFは光学ファインダーの「 現実光の大動脈 」を取っ払ったフェイク映像をもとにした撮影行為となってしまい、そこには「場の呼吸感」が生まれないように感じる。これは何度もEVFに馴染もうと思ってチャレンジしてきたけれども、結局馴染めなかったとことの検証結果である。

古い男が時代の新しいテクノロジーに乗り切れてない感満載!

だけど言わせてほしい。

アナログの持つ膨大多様なエネルギーを身体はしっかり感知しているわけで、人間の表層の知覚だけにフォーカスしたうすっぺらいデジタル情報をベースに写真を撮るというのは逆に不自然で不効率だと。

自動車に例えれば
光学ファインダーが、フロントガラスのある車(要はごく普通の車)であるのに対し
EVFはフロントガラスの代わりに「大きな液晶モニター」が内向きに貼りついている車のようなものである。前面は液晶モニターでしか確認できない。
我ながらこれはとても良い例えだ(笑)

できればそんな車は運転したくない。

でもR6あたりはいずれ動画用に買うと思う。

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