

EOS RPのシャッター音は、ちょっと硬質で小さい「カチャッ」という感じ。
上位機種のEOS R5やR6などのタイトで柔らかなプロ機っぽい音ではなく、Rのような硬質でタフそうな音でもなく、頼りないと言えば頼りなく、安っぽいと言えなくもない音。
だけど、この音は、仕事ではなく日常のスナップ撮影ではとても心地よい。
ゆるくて素朴な感じが光景の邪魔しない。
もしかして、そこまで想定して音のチューニングしてるのかなとさえ思ってしまう。
キヤノンさんの製品仕上げのクオリティって、どんどん高くなっていると思う。
細部にわたって丁寧な作り込みがされているカメラは、使っていて気持ち良い。
写真に写っているのは、キヤノンのフィルムカメラのEos-1とズームレンズEF17-40mmF4L。
Eos-1は1989年に発売開始されたものなので、約30年前のオールドモデルである。
https://global.canon/ja/c-museum/product/film132.html
このカメラのデザインはウルトラマンに出てくるジャミラみたいで最初はあまり好きでは無かったけれど、いまやキヤノンのフィルムカメラの中では最もお気に入りのモデルである。
ペンタ部が出っ張っていないので携帯性や出し入れが非常に楽なのと、デザインの全体のまとまり具合がイイ感じである。
それと突き抜けたような盛大なシャッター音が潔くて気持ちが良い。
程度の良いものを見つけたらストック用にまた買ってしまうと思う。
最近は、めっきりスナップを撮る回数が減ってきた。
前回からこの写真をアップするまで2ヵ月経っている。
だからどうこうということではないけれど、そして写真に興味がなくなったわけではないけれど、ペースがダウンしてるとうことなんだろう。
最近の自分のおもろい傾向は、デザイン的に気に入らない機材は使いたくないといもの。
人生折り返し地点を過ぎたからなのか、なんなのかわからないが、気に入らないものを理屈でかき消しながら付き合うことが出来なくなってきている。
例えば、このレンズは不格好だけれども写りはいいから使おうとか、そーいうのができない。
逆に、画質とか、写りとかはある一定の水準をクリアしていれば、そんなに気にならなくなった。むしろデザイン、カタチ。
デザインというのは僕にとって思っている以上に影響力やパワーを持っているようで、気に入らないフォルムやデザイン、色味のモノや道具を無理して使うと具合がわるくなる。
逆に、気に入っていて馴染むようなものを使うと自然でいられる(特に気分が高揚するわけではない。)
そんなのあたりまえか。。
ちなみに最も心地良いと感じるデジタル一眼レフカメラのデザインは
Canon EOS 5D mark II である。
身近な日常の「意味(記憶)」から解放され
身近な日常風景に
ひとつぶの水滴が落ち、無限に響きを発するような 「造形・いろどり」を発見すること
これはまじめな話
僕にとって唯一死ぬまで続く
試みであり、 修行であり、愉しみであり、表現であり
つまりは「生」そのものである
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いまや世界中が、新型コロナ、新型コロナである。
まさかここまでの状況になるとは全く想定していなかった。しかも世界中で。
まるで映画を見ているような不思議な感じ。
景気は間違いなく減退し、僕のようなフリーランスは、あまりにも先が見えなさ過ぎて、もがく術もなく、かえって落ち着くしかない状況。
とにかく、感染しないようやるべきことを毎日淡々とやり、日々を丁寧に生き抜くしかない。
緊急事態で国も必死に対応しているのだから国を批判するな、という意見。
全く共感できない。
第二次安倍政権になったときから、政治に対する期待や希望は完全に失せ、この8年、予想通りというよりも、予想を超える政権の劣化に、言葉なく、ただただ精神が疲弊する毎日であったので、今回の新型コロナの政府対応にも、はなから期待していなかった。
そして、案の定、想定外のウルトラ級の劣化対応である。
全世界が同じ緊急事態に陥り、世界各国がそれぞれに国民を守るために様々に現実的な支援策を打つ中、日本政府がいかに国民の命を大切に考えていないか、何を優先しているかが、はっきりと浮き彫りになっている。
ここまで来ても、変わらず国民が今の安倍政権を継続させるのであれば、日本は様々な側面で壊れていくのは明らか。
今回の新型コロナの件が、「政治=生活」という事実に気づく機会となり、多くの人々が政治に関心を持つようになることを切に願うばかりである。
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